【映画評】百円の恋ーー人生に求める、与えられるということ

例年をはるかに超える酷寒の今年。予想外のインフル罹患で一週間、外出不能に。

最悪期を超えても、頭がぼーっとしてまだ十分に読書も仕事もできないなか、Gyao!の無料配信で見たこの2014年の邦画。素晴らしい作品。出会えて良かった。

主演の安藤サクラ。奥田瑛二のお嬢さん。彼女の存在感が斉藤一子の実存に命を吹き込んでる

地方都市。母が弁当屋を営む寂れた商店街にある一軒家で、両親、出戻りの妹、その連れ子と一緒に住む32歳のニート、斎藤一子が主人公。

散乱するタバコの吸い殻、テレビのコード、リモコン、ジャンクフードの空袋、ボサボサの髪。モノが散乱した部屋と虚ろな目から示される、怠惰で無為なパラサイト生活。怠惰な姉に耐えかねた妹に自活を求められ、罵声を浴びせられ、取っ組み合いの喧嘩をし、一子は家を出る。そして、木造アパートを借り、百円ショップで深夜バイトを始める。

実家に前からいた姉さんに、出戻りで帰ってきた子連れの妹に罵られて家を出されちゃうなんて、一子、立場弱いな。

時給1200円で百円ショップの深夜バイトを始める一子。

きょうび、日本では、弁当屋や百円ショップを活用すれば、かなり安い生活費で生きていくことができる。だが、モノが安いということは取りもなおさず、そこで働く人の所得も低いということ。地方都市は寂れ、百円ショップは人手不足。そこで働く人たちの生活は底辺。映画に登場する愛すべき百円ショップの店員たちは、世の中の流れにも乗り遅れており、一子はじめ、誰もスマホを持っていない模様。当然、ツイッターもインスタもfacebookもやっていなさそうだ。。。。(中年店員は「ミクシーやってた!」と言っていたが)

乗り遅れているのはそれだけではない。世の中の嫌煙の流れに抗い、この映画、登場人物は主人公のみならず、ほぼ全員がヘビースモーカーだ。

顔も頭も今ひとつ。男性経験ゼロ、正社員経験ゼロ、コミュ障気味のこじらせ女子、趣味はテレビゲームの32歳。それがヒロインの一子だ。きっと、働き者の母ではなく怠け者の父に似たのかもしれない。妹は姉に似ず、普通に可愛く、機敏。おそらく一子は子供時代から妹に負けっぱなしの人生だったと想像される。

非モテという点で、一子はブリジットジョーンズを彷彿とさせるし、気だるく訥弁な感じは若い頃の桃井かおりにも似ている。だが、一子はブリジットジョーンズのように王子様との結婚を夢見て努力したり、背伸びしたりはしない。また、桃井かおりと似ているようでいて、「あたしって、実は自由で賢くて可愛いでしょ?」みたいな1980年代っぽい自意識や媚びとも無縁だ。安藤サクラ演じる一子は、草食系が極まり、バカにされても無視されても怒りすらしない。まるで伸びきったゴムのような淡白で無気力な受け身の態度がなんとも2010年代的だ。

何しろ。。。。。

職場のキモい44歳のオヤジに強姦されても、泣き寝入り。

バナナマンこと新井浩文(いつも百円ショップにバナナを買いに来る、引退直前の貧乏なプロボクサー)にナンパされ、いよいよ心温まる恋愛物語が始まるか。。。と思えば、こいつもまた人格障害気味の底辺男。バナナマンにいくら暴言吐かれても、裏切られても、一子は怒りもせず、抗議もせず、口をへの字に曲げて、うつむくだけ。

「ひゃくえん!ひゃくえん!なんでも、や・す・い!」ーー100円ショップのシュールな店内音楽(そして一子の初めての試合の入場曲)は、一子の「安っぽい」キャラの象徴でもあり、貧しく薄っぺらな現代日本社会の象徴でもある。

そんな一子、映画の中で2回、感情をあらわにして泣く。この映画、一番の見どころだ。

2回とも、一子はまるで子供のように嗚咽を上げながら、奥底にしまわれた感情をむき出しにして、長く、長く、泣き続ける。

バナナマンと初めて寝るとき。そして、もう一度は最後に、ボクシングの試合に負けたとき。

その泣き声の思いがけない激しさ、生命力に、観る人は胸を突かれる。

一子には隠された二つの強い感情がある。

まず、「愛されたい!」という感情。

そして、もう一つは、「勝ちたい!」という感情。

どちらも、他人に見せるのが恥ずかしいから、必死に隠している感情。

なぜ、隠すのか?

だって、きっと愛されるはずないから。

だって、きっと勝てるはずないから。

それでも私たちは、「愛されたい」「勝ちたい」と願わずにはいられない。これからの人生にそれが起きることを期待せずにはいられない。

その思いが、彼女を(自分を振った男がやっていた)ボクシングに向かわせた。愛されるか、勝てるか、分からない。人生が手遅れになる寸前に、彼女はガムシャラにそれを求めた。

「思いっきり戦うの、いいな。それに、終わった後に、敵と肩たたき合うの、いいな」ーーバナナマンに振られた後、一子は吸い寄せられるように、その男の通っていたジムに通い始める。

人と関わることを避けていた一子が、コーチにアドバイスを乞い、会長に試合に出して欲しいと頼み込むようになる。

猛練習を経た、初めてのボクシングの試合で、一子は完膚なきまでに負けた。

神様は一子が切ないほどに願った「勝利の味」を彼女に与えてくれなかった。

血だらけ、顔はボコボコ、あざだらけ。

だが、神様はそのとき、彼女に思いがけないプレゼントをした。「勝」てなかった彼女は、その思いもよらなかった瞬間に、愛を手にいれるのだ。果敢なチャレンジの後、正直に泣く一子の素直さが、冷血漢、バナナマンの心を溶かしていく。

新井浩文演じるバナナマンと安藤サクラ演じる一子の関係はちょっとサドマゾで、「道」のザンパノとジェルソミーナを彷彿とさせる。

幸いなことにジェルソミーナと違い、一子はちゃんと生きて男の愛を手にいれた。

そうすることで自尊心も手に入れた。

彼らは若くはないが、人生終わりという年でもない。

今の日本、どれだけ希望は少なくても人生は長い。

二人は一緒になるだろう。一子は実家の弁当屋を出て、二人は一緒に仕事をして、なんとか親がかりではなく自分たちの力で生きていくのだろうと思った。子供だって生まれるだろう。二人のおかれた状況からして、その後の人生は決して華々しくはないかもしれない。だが、それは少なくとも借り物ではない、自分の力で切り拓いた人生には違いない。

一子を鍛え、応援するボクシングジムの人たちがいい。必死に生きる、家族も、百円ショップの人たちも、みんな、いい。そこには絶対的な善人も悪人もおらず、予定調和的なハッピーエンドもなく、奇跡もなく、地方都市をリアルに生きる人たちの生がリアルに描かれている。これぞ、日本。これぞ、日本人。外国で暮らしている日本人が見たら、とても日本が懐かしくて涙が出るだろうな。

ネタバレどころか、ラストシーンのその後まで予測するなど、映画の紹介としておよそ、ふさわしくない記事になってしまった。古い(4年前)映画ということで、お許しください。

その後の物語まで観る人に想像させるほど、ストーリー構成の完成度の高い映画は滅多にない。フェミニズムとか、社会批判とか、そういう教訓に走ってないのも好ましい。新しいけど普遍的、普遍的だけど、新しい。

インフルエンザのおかげで、思わぬ拾い物。⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

 

 

 

 

 

 

 

 

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