チベットで見たこと、思ったこと

ようやく、長く暑い夏が終わろうとしています。

夏休み後半、チベット自治区を旅行しました。

集光舎さんにコラムを載せました。これから4〜5回に分けて思ったことなど、書きたいと思います。よかったらお読みになってください。

下山明子

 

チベットで見たこと、思ったこと ①

Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedInPrint this pagePin on Pinterest

エアコンのある世界、ない世界

残暑お見舞い申し上げます。

今年の夏は本当に、長く暑かったです。

エアコンなしにはもう、私たちは日本の夏を乗り切れなくなってしましました。

今日くらいが暑さの最後だといいと思います。

 

エアコンのある世界、ない世界

Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedInPrint this pagePin on Pinterest

隠キャと陽キャ(集広舎コラム)

すっかり夏景色ですね。毎年、7月15日を過ぎると真夏本番!という感じでしたが、今年は早い。毎年、冬と夏が少しずつ長くなり、春と秋が短くなっているような気がします。

集広舎さんの3回目のコラムが載りましたので、転載します。

下山明子

陰キャと陽キャ

 

Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedInPrint this pagePin on Pinterest

集広舎さんのサイトにコラムが載りました。

こんにちは。梅雨らしい陽気が続いていますね。

ダライ・ラマ法王スピーチ集」でお世話になった出版社、集広舎さんのサイトにコラムを載せていただきました。良かったらご覧になってください。

下山明子

体育会系のチベット人

Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedInPrint this pagePin on Pinterest

つながりたい思いと自意識過剰

ご無沙汰しています。下山明子です。

昨年7月にこんな書評をamazonに投稿しました。読み返すと、われながら、自分の気持ちをそのまま切り取った感想と思いました。わたしは自分が言いたいことを表現したいのに、臆病だから、書評でしか自分の本当の気持ちが表せないのかもしれません。

できれば、書評じゃなく、翻訳でもなく、自分の足で立って、自分の表現をしたいです。そうしたなかで、これまで書いたamazon書評は、自分が何についてどう考えて、感じていたかを確認する貴重な資料です。たくさん読んだ本のなかで心が引っかかった本についてだけ書いているから。

ちなみに、この本はオランダの作家さんの「童話」で、2016年に日本で翻訳され、ロングセラーになっている本です。結末には勇気がもらえます。

ハリネズミの願いはひととつながること。誰かと一緒にいて共感する幸せを味わいたい。

それは人の普遍的な願いだろう。

それでハリネズミは招待状を書く。紅茶とケーキを用意して誰かが来るのを待つ。

待ちながら、招待されたひとの気持ちを考えてくよくよするーー迷惑かな。どうせ、みんな忙しいだろう。僕のハリが怖いだろう。僕の家はみすぼらしいし、きっと紅茶とケーキは嫌いだろう。。。

それに、来てくれたとしても、そいつがイヤな奴かもしれない(ハリネズミは自分に自信がないくせに自我が強い。気位が高く、好き嫌いが激しく、他人に厳しい。それが彼の「ハリ」なのだ)。

ハリネズミは誰にでも来て欲しいわけじゃない。共感して幸せを感じられる人と出会いたい。

でも、どうやったらそんな人に会えるのか、会うためにどうしたらいいのかがわからない。家をもっと綺麗にしたらいいのか。自分のハリを抜いてしまえばいいのか。何かに擦り寄ろうとしても、何に擦り寄ったら正解なのか、わからない。

それでハリネズミは不安の中で楽観と悲観、自尊と自己卑下のあいだを揺れ動く。悲観が極まると、どうせ嫌な思いをするなら独りがいい、とやせ我慢する。

そのくせ、すぐに人恋しくなる。期待し、妄想することを止められない。

ずっと内面のシーソーゲーム、独り言が続く。

ハリネズミは色々などうぶつと交渉を持つ。現実と妄想の中で、ハリネズミの家をぶっ壊すなど、変な、ひどい動物が登場する。だが「良い」動物もいる。ハリネズミをほめ殺すコフキコガネや、美しい歌で深い感動を与えるナイチンゲール。だが、それでもハリネズミは満足できない。求めている自己承認が与えられないからだ。

最期の最期、ハリネズミはやっと求めていたものを手に入られる。自意識の檻から出られ、不安がなくなり、ぐっすり深く眠れる。

物事は起きるときには起き、出会えるときには出会える。そこに至るには、正解もノウハウもない。

自意識過剰と寂しさを抱えた人にとっては、どんなリアルな物語よりリアルな物語。私にとって星5つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedInPrint this pagePin on Pinterest

古民家のキッチン(続き):標準仕様の呪縛

古民家のキッチン施工中に、新宿の国産住設メーカーの大型ショールームを見に行った。

ショールームのキッチンはさすがにどれも、見事にお洒落でゴージャス。

壁に貼ってある「全部でおいくら?」を見て仰天。一式、300万円とか、500万円とか、700万円とか。。。。

ネットで見るキッチン設備の価格とは、ケタが1つちがう。

もちろん、その値段には、床か壁の張替えや、配管やガス工事、設置にかかる職人の手間賃は含まれていない。

「すごい。こんな値段のキッチン、一体、誰が買うんだろうね。。。。」

「実際にこんな仕様にする人は少ないんだよ。家も狭いしね。ショールームは夢を見せるだけの場所だよ。実際には、ほとんどの人は値段を知って標準仕様のキッチンを入れるんだ。このキッチン、見てごらん。標準仕様にてんこ盛りにオプションがついてる。標準仕様はめちゃくちゃ安い。30万円もあればOKだ。施工だって1日で済んじゃう。高いのはオプション。日本は特別仕様にすると、なんでも馬鹿丁寧になり、もったいぶるようになって、法外に高くなる。そういう業界の仕組みなんだ」

「でも。。。。標準仕様のキッチンて、あまりにシャビーよね」

「わざとシャビーにしてるんだよ。小金がある人がオプションを選ぶようにね。ちょっとデザインに凝りたい奥様は、アイランドキッチンやら、人工大理石のトップやら、ホーローのシンクやら、アンティーク風の蛇口やらにする。君みたいにね。すると、たちまち3倍、4倍の値段になる。利益率もうなぎ上り。お金は取れるところから取る。金持ちはぼったくる。こと家に関しては、日本の業界はその精神が徹底してる」

思い出せば、IKEAのキッチンは、一つ一つの部材に定価がついていた。キッチンの値段はそれら部材の合計価格+施工費だった。そこには標準仕様も、特約店のための割引もない。どんなにささやかなキッチンでも、買手は自分で一つ一つ、部材を選んで自分のキッチンを作っていく。キッチンを大型にしたり、特別な設備を入れれば当然、合計価格は高くなるが、あくまで価格の上がり方は直線的だ。

それに対し、国産キッチンの価格体系はきわめて累進的だ。標準仕様は安い。だが買い手はほぼ何も選べない。そして、ひとたび標準を離れて買い手が何かを選び出すと、価格は天井知らずとなる。

「特別仕様のハードルが高すぎるよね。貧乏人はデザインに凝るなってことかな。。。。」

そのせいで、ショールームのキッチンの多様さを尻目に、現実の日本の家庭のキッチンはとても画一的だ。消費者が画一的なのではない。それは価格体系のせいだ。実際のところ、自分好みのオリジナルなキッチンを実現できるのは超累進的価格への感応性の低い(=値段にこだわらない)金持ちだけとなる。

キッチンだけでない。窓もそうだ。汎用アルミサッシと木製建具の価格差はあまりに大きい。その差は原価や手間賃のちがいをはるかに超えている。裏には「わざわざ木製建具を入れたいほどデザインに凝る人は、普通の人より金持ちなはず。金持ちは高い請求書も喜んで払うはず」という暗黙の業者ロジックがある。

ビニールクロスの壁しかり。バスルームのシャワーヘッドしかり。

施主に選択肢はある。問題は、非標準的な選択肢のコストがあまりに高すぎることだ。

つまり、選択は金持ちにしか与えられない。価格とデザインの決定権が極度に供給側に偏っている。

それは、日本以外で生活したことがなければわかりにくいことだ。

もしかしたら、それは家だけではなく、ライフスタイル全般に言えるのかもしれれない。。。。とふと思った。

日本では法律により、あらゆる人に「生き方の選択肢」が保証されている。問題は、「万人のための標準仕様」のコストがあまりに安く、「特別仕様」を選ぶと、コストが跳ね上がるため、人々に標準仕様の生き方をさせようとする社会の収斂力がとても強い。建前とは違い、実際にオリジナルな選択が許されるのは、法外なコストを払うことができる人だけだ。

学校の選択、医療の選択、職業の選択。。。。

たかがキッチン、されどキッチン。そこに社会の本質が集約されているのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedInPrint this pagePin on Pinterest

古民家とIKEAキッチン

21世紀の今、都会人が古民家に暮らしたいという思いを支えるのは、まずは時間とお金。鶏か卵か、ではありません。圧倒的に、時間とお金が先。それがなきゃ、ていねいな暮らしなんて無理。

2年前にこの古民家を買った私はそのことを心の底からは理解していませんでした。

当面は、”as is”。できるだけDIY。できるだけお金をかけないで。

そうやって2年間、やって来ました。

これからは残り時間から逆算して、もうちょっと頑張って、東京の生活で余剰を捻出しようと思います。お金だけではなく、時間も。それで作った余剰を、他の何でもなく「いすみの古民家」に蕩尽するという、実にジレッタント的かつエゴイスティックな選択と集中。

昔の美しい姿を蘇らせたいから。トタンの外壁は下見板に戻したいし、アルミの窓は木枠の窓に戻したい。雨戸や建具はも修理したい。

DIYでできたのはせいぜい漆喰塗りや戸棚つけまで。本格的な木工事はやはり素人には無理だということが徐々にはっきり、分かってきました。

で、それらを頼める業者を見つけないといけないのですが。。。思いのほか、それも大変でした。現代の住宅規格から外れた古民家の木工事は、やってくれる工務店はなかなかない。古民家専門の建築家と宮大工に頼んだらやってくれるのでしょうが、どれだけお金がかかるかわからない。

この2年、建物の勉強もしました。必要なことではありますが、情報とうんちくだけが積もっていくのは空しいものです。やはり施主として先立つものはお金です。

「お金も時間もなくて、やってくれる工務店がないなら、何にもしなきゃいいんだよ。今が十分に素敵なんだから。もしかして、君は改悪しようとしてるのかもしれないよ」という夫。

ちなみに夫の理想は、川崎、向ケ丘にある古民家園の建物です。

私の理想は、それに少し洋風のテイストも取り入れて暮らしやすくした白洲正子の武相荘の姿です。

そうした理想を踏まえれば、夫の言う通り、大変なお金と時間をかけて改修しても、現代の古民家リノベーションの潮流の中で、必ずしもおもった通りの姿にならない可能性があります。実際、これまでに、たくさんの残念なリノベーションを見て来ました。現代住宅の機能性を求めすぎて竹に木を注ぐようになった古民家、建築家のエゴが全面に出た実験室のような古民家。素人のおかしなDIYのせいで昔の家の様式性や意匠がまるで失われた古民家。。。。

「とりあえず、キッチン、水周りをやれば。もちろん、僕じゃなく君のお金で」。

というわけで、キッチンに手をつけることにしました。

サー・コンラン卿のキッチン、桐島かれんの葉山の家のカントリーキッチン。たくさんの画像をPinterestで集めることから始めました。キッチンメーカーのモデルルームもたくさん、行きました。

桐島かれんさんの葉山の家。前は単に素敵だと思っただけでした。今はこれだけの空間を作るのに、どれだけの手間とお金がかかったかと考えます

でも結局、私の資力で買えるのはIKEAキッチンだけでした。

輸入キッチンではダントツに安いIKEAですが、それでも、覚悟が要る出費と時間、手間でした。たかがIKEAキッチン、されど、IKEAキッチン。施工前日に家に届いた136個の荷物。配管、配線、壁面、窓。。。。。施工業者、工務店とのコーディネーションもなかなか大変でした(現在進行中)。

IKEAのカウンターキッチン。プロの施工業者の技術は圧倒的でした

ビビりながらもスタートした、業者を使った古民家リノベーション。

ルードヴィヒ2世の例を見るまでもなく、本当に素晴らしいモノを作るにはお金も時間も忘れたエゴイスティックな狂気が必要なのかもしれません。

そんな狂気が自分に欲しいような、欲しくないような。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedInPrint this pagePin on Pinterest